運命の決戦は10月11日の13時からスタートした。
薄いベージュ色の和服姿で対局に臨んだ清水女流王将。
歴代最多のタイトル獲得数43(当時)を誇る女流のトップ騎士。
その実力は男性アマ五段以上のレベルといわれる。
(男子プロと女流プロではレベルが違う、男性アマ五段は男子プロレベルで6級程度)
別室で観戦した約750人の対局前予想は「清水有利」がわずかに多かったらしい。
持ち時間は、各3時間、切れたら1分で、ゆっくりとしたペースで進展。
清水市代はこの日のために吐くほど訓練を重ねてきた。
負けは許されないからだ。
ハードウエアは、東京大学クラスターマシンが使用された。
Intel Xeon 2.80GHz(4コア) 109台、
Intel Xeon 2.40GHz(4コア) 60台、
合計169台(676コア)が搭載。
まさにコンピュータのハードとしては巨大戦力仕様といったところか。
コンピューター1台でなく169台の合計能力ってどのくらいなのか…。
ソフトウェアは、国内トップ4と言われていたプログラムを採用。
その4つの頭脳が多数決で次の一手を合議法を採用。
4つのプログラムは、
プレイヤー1は「激指」、
プレイヤー2は「GPS将棋」、
プレイヤー3は「Bonanza」、
プレイヤー4は「YSS」。
当時の将棋ファンからしたら将棋ソフト四天王がスクラム組んできたという感じだった。
「負けないでほしい…」
持ち時間は各3時間。
中盤まで互角の展開だったが、清水女流王将は終盤にミスしてしまい、
その一手のミスによってコンピューターに優位に立たれ、
粘りに粘るも、最後はコンピューターソフトの確実な攻めで押し切られてしまった。
清水女流王将は「時間配分がうまくいかなかった。正直、悔しい」と無念の表情。
システムを作ったプロジェクトチーム責任者の松原仁氏(51)は、
「最後は運があった。今後も開発を進めたい。ちょうど35年くらい前、1975年頃からコンピュータ将棋はスタートした。当初15年間は弱いプログラムしか開発できずに、アマチュア初段にも勝つことができなかった。『一体、何のために開発をしているのか』という声も上がっていたほどで、今日、ここまで強いコンピュータ将棋が開発できたことを素直に喜びたい」
コンピューターが女流王将に勝利した。
それゆえにプロ男性棋士との対局を期待する声もあがった。
しかし、日本将棋連盟の米長会長は、
「まず、今回の対局を細かく精査しなければなんとも申し上げられない。情報処理学会の皆さん、ファンの皆さんの声を踏まえて、今後は決定していきたい。ただ、個人的には清水女流王将のリベンジを期待したい」と感想を述べた。
将棋ファンの誰もが清水市代のリベンジマッチを望んでいたと思うが、
この後、まさかの展開が訪れる。