「個人的には清水女流王将のリベンジを期待したい」
こう述べたはずの米長会長だった。
われわれ将棋ファンにしても清水市代のリベンジマッチが見たかったし、
実際にそうなるものと思っていた。
ところがこの大一番に勝った相手側はそれを認めなかったのだ。
コンピューター側は最上級の獲物を当然の権利として要求してきたのだ。
「(現役最強棋士の)羽生善治(はぶよしはる)を出せ」
米長会長は当然のことながらそれはできないと突っぱねた。
女流棋士が負けたとはいえ、その上には男子プロ棋士が存在している。
その頂点に立ち世間の誰もが最強・最高と認めている、
トップ中のトップ棋士の羽生をそうそう簡単に出すわけにはいかない。
しかしながら相手も勝利者側の権利だと引き下がらない。
一度勝った相手とやっても科学の進歩性を確認できないからだ。
執拗にせまる相手の要求についに会長が決断をした。
もしも羽生を出せというならば7億5千万円を払いなさい。
用意できるならば羽生を出してもよろしい、と。
だが、相手側も潤沢な資金があるわけではなく、
純粋に科学の進歩のために研究をしている人たちだ。
7億5千万円のような巨額な資金は捻出できない。
こうやって意気軒昂に挑戦してくる相手側にゆさぶりをかけて、
米長会長は「次の一手」を放った。
「では、会長である私が自ら対戦をしましょう」
それなら文句ありますまいな、と。
これにはコンピューター側も驚きを隠せなかった。
が、「対羽生戦へのステップにしてやる」
ということで考えを切り替えて承諾した。
引退して会長に専念していた米長会長。
全盛期とは比べることはできないくらい力は落ちているだろう。
それでも現役の男子プロ棋士とコンピューターの対戦、
それを自分の目が黒いうちはさせるわけにはいかない。
だから代わりに自分の身を差し出すことにしたのだ。
対戦相手(コンピューターソフト)は、
2011年度世界コンピューター将棋選手権覇者「ボンクラーズ」。
名前は一見ふざけているようだが、実力は当時の破壊的レベル。
人間とは違って最短距離で敵の王将の首を確実に仕留めるマシーンだ。
引退していた身ではあったが、1993年(平成5年)に中原名人をストレートで降して初の名人位を獲得し、49歳11ヶ月での獲得そして50歳での在位(「50歳名人」)は史上最年長記録であった元名人であり永世棋聖(えいせいきせい)。
自身の名誉(元名人、永世棋聖、現会長)にかけて、
己の棋士としての人生をかけて、
2012年1月14日、「人類vs人工知能」、
絶対に負けられない大勝負に出ることになった。