塾講師のやる気の源とは?(その12)

Aくんとの会話。

「小論文なんて書いたことないっす」

「わかっているよ」

「で、どうすれば?」

「それは…」

 

北斗塾は自立型個別指導をしている。

「次、何をすればいいですか?」

「で、どうすればいいですか?」

 

実際はほとんどの塾生は言わない。

塾に来た時に確認の意味で私に、

「〇〇から始めます」

という生徒はいるが。

やることもやるべき順番も、

それぞれの生徒に関して決まっている。

私は塾長だからそうなるようにしか、

指導しない。

自立型の人間になるようにしか、

指導しない。

 

ここが難しいところで、

私以外の講師も皆が上手にできる、

というわけではない。

ついつい具体的に指示を出してしまい、

生徒に自覚を持たせられない指導を、

してしまいがちである。

それでも少しずつ修正していく。

指導者側にも「自立型の指導とは?」

これを常に考えていないと、

すぐにずれていく。

 

元々頭の良いと思われる生徒もいるが、

ほとんどの場合はその生徒の「意識」

そう「意識」の問題である。

意識が高いか低いかで成績が決まる。

そう言っても過言ではない。

意識が高ければ勉強を自発的にするし、

低ければスマホいじりが優先する。

 

親の世代からすればスマホをいじる、

そのこと自体がもうすでに、

わが子に対して腹が立つ最大の原因。

「スマホ、取り上げるよ!」

と何度でも言いたいだろう、

どこの家庭でも。

 

スマホに関してはまた別の機会に話す。

これに関してはどの親御さんであっても、

知っておくべきことがあるから。

 

閑話休題。

 

「それは…型を覚えることだよ」

「型…ですか?」

「何事も基本型があるんだよ」

「はい、わかりますけど」

「本当にわかっている?」

「基本が大事ってことっすよね」

「そうだよ」

「なら、知っていますけど?」

「勉強となるとなぜ今まで実行しないの?」

「あ~、それは…」

「知っていることと『できる』ことは違う」

「はい…」

「その前にね…」

「はい」

「知っていることと『わかる』は違う」

「あ、はい…」

「さらに『わかる』と『できる』は違う」

「あ、はい……」

 

こうやって小論文の指導なのだが、

いや数学や英語のときであっても、

私の個別指導は「脱線」が多い。

人生訓とまではいかないが、

生徒には「ものの考え方(見方)」を、

機会あるごとに教えるようにしている。

それは長期的に見れば有意義なことになる、

そう信じて生徒に話すのだが、

「ま~た、始まったよ」、

そう感じて態度に出る生徒もいる。

特に予備校生の中に。

 

不思議だが、

そういう態度をとった生徒は今までにも、

何人かいるのだが…全員落ちている。

いや、1人を除いて。

 

大学入試に合格する最大の要因は、

その子が「元々頭がいいことである」と、

そう信じている親御さんや塾講師もいるが、

私はそれが1番の要因ではないだろうと、

今でも思っている。

 

「素直」が1番だと思っている。

 

(続く)