塾長の考え(九大受験)3

Cくんは九州大学合格を目指している。

 

しかし、九大や阪大などの難関大学は、

昨年度(といってもこの前の2月だが)、

生徒目線から言えば数学は難しくなった。

同じ状況は北大や名大でも起きている。

いよいよ各大学も共通テストと同様に、

バージョンアップが始まっているようだ。

時代が動いていることを感じる。

 

さて、

難関大学の問題を生徒が解ける。

そうなるように指導するには、

やはり1つひとつの問題を実際に見せて、

その構造を把握させるステップがいる。

そこをうまく指導しないといけない。

その問題の真意は何か?

その問題の本質は何か?

生徒に考えさせつつも要点をどう見抜くか、

それを教授しないといけない。

それが塾講師の重要な仕事の1つだ。

もちろん予備校講師という存在もまた、

それをする技術師みたいなものだが、

彼らは1つの問題を自分流に解説するだけ、

それで終わる分だけ楽ができているようだ。

その後、その問題の類題などが出たとき、

生徒1人ひとりがその問題を、

解けるようになっているかどうか。

そこには関心がないようだ。

いや、もっと正確に言うと、

そこは守備範囲外だと思っているようだ。

入試問題の解き方を、

生徒たちが「わかるようになるまで」が、

予備校講師の仕事だと思っているようだ。

生徒が実際にできるようになっているか、

そのことはあまり関心がないようだ。

「できるようになるまで」

それが実現するためには、

生徒がどれだけ復習をしていくかだよ、

と割り切っているようだ。

ここが塾講師と予備校講師の違うところ。

かつて林修(はやしおさむ)先生が、

あるテレビ番組に出演した時に、

「塾講師の林先生で~す!」

と紹介されたらいやな顔をした。

そして即座に訂正を入れた。

「僕は予備校講師です」

「塾講師ではありませんよ」

紹介した人がキョトンとしていた。

「どっちでも同じじゃないんですか?」

「全然違いますよ!」

林先生からすれば、

「塾講師と一緒にするんじゃないよ」

という考えなんだろうなと思った。

だが言わせてもらおう。

私も塾長であり塾講師だが、

「予備校講師といっしょにするなよ」

と思っている。

授業だけすればいい身分と、

入試での合否に責任を感じて、

喜んだり悲しんだり、

親御さんといっしょに笑ったり、

親御さんに謝ったり、

それが塾講師だ!

人種が明らかに違う。

 

九大の問題は高尚で難しい。

それでも解く過程でいろいろと、

味わい深いものがある。

さすがは「旧帝国大学」の問題。

これを生徒と一緒に分析する。

そのエッセンスが生徒の頭の中に、

ひとつ残らず吸収されてほしい。

そのエッセンスが、

大学生での学問の習得に大いに役立ち、

社会に出てから自分が関わる仕事の質に、

大きく影響する。

 

「Cくん、解いたやつ見せて!」

「あ、はい。これ…お願いします」

出された1枚の答案を見る。

「これは…(笑)」

 

(続く)